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第3章
そして新たな時代へ

 1980年代後半から90年代にかけて、寮生たちは大学が進める国際化の動きに対応しつつ、自らの理想とする寮の姿を模索していました。その過程で、寮の廃止が議論される一幕もありました。

 一方で、1983年の「留学生受け入れ10万人計画」以降、各大学とも国際化に関する施策を本格的に展開することになります。さらに、2000年11月に大学審議会が、「グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について」のなかで、留学生の受け入れが大学の国際競争力強化につながると提言するなど、国際化は高等教育機関にとって必須のものとなっていきます。

 こうした状況のなかで、上智学院は2001年1月、将来の基本構想である「グランド・レイアウト」を発表し、構内に国際交流拠点を整備するなど施設の充実をはかる一環として上智会館の建て替えを表明しました。その結果、2005年5月、四谷キャンパスの学生寮は閉寮し、新たに学外に「上智枝川寮」が開寮することになります。

 さらに、2012年に外国語学部が文部科学省の「グローバル人材育成推進事業」に採択されるなど、上智大学のグローバル化が深化するなかで、2012年に祖師谷国際交流会館の学生寮が、2019年にはアルペ学生寮が相次いで開寮します。

 本章は、1990年代後半から現代までの学生寮の姿を、舎監の残した史料や各種写真から紹介していきます。

第1節 学生寮像の模索

上智大学学生寮寮生総意(1987年1月)資料番号:学生寮_11上智大学学生寮寮生総意(1987年1月)

学生寮総意について

 左の史料は、1986年11月に舎監たちが行った「寮存在意義についてのアンケート」の調査結果にもとづき、寮内の学年別集会で議論を重ね、翌87年1月の寮生たちの臨時総会で決定されたものです。このなかで寮生たちは、「1.学業面の一層の向上」「2.諸活動への積極的な取り組み」「3.寮生間コミュニケーションの重視」を掲げています。特に3.において、寮生たちは、学生寮に外国からの留学生が多いという特性をふまえて、コミュニケーションをさらに活性化させるようつとめると宣言しています。

 このアンケートが実施されることになった経緯は不明ですが、「国際化」時代を迎えようとしているなかで、寮生たちが自己の役割を模索しようとしている姿を見て取ることができます。

学生寮の記念品資料番号:学生寮_21
学生寮の記念品資料番号:学生寮_21男子寮の思い出の品々
学生寮問題の経緯について(1988年)資料番号:学生寮_12学生寮問題の経緯について(1988年)

1987年10月、理事長と学長から「昭和66(1991)年3月末をもって学生寮を廃止する」との通告がありました。その内容を舎監長が寮生たちに伝えたのが、左の史料です。

寮監たちにもこの決定は、突然のことでした。そのため廃止理由を理事会に問い合わせたところ、学生寮の現状を検討し、理事長と学長に諮問する「学生寮検討委員会」の設置を命じられます。
この委員会は、寮監と法人職員によって構成され、数回にわたって、学生寮の存在意義、運営のあり方を議論しました。

学生寮検討委員会は、1988年12月までに3回報告書を理事長、学長宛に提出しました。展示史料は、その「中間報告」です。このなかで委員会は、学生寮を経済的に恵まれない学生への福利厚生面の施設としてだけでなく、カトリック教育の実践場であるという理念を基本に存続させるべきであると主張しています。また、その存続意義について次の3点から説明しています。

①上智精神を具現化する場である。
②社会に貢献し得る、個性ある人格育成の場となる。
③リーダーシップ養成の場として機能する。

 最終的に、学生寮は廃止を免れることになりますが、国際化時代を迎えて寮の存在意義があらためて問われることになったのです。なぜ大学は、学生寮のあり方を見直そうとしたのでしょうか。

 右の史料は、土田上智大学学長が大学基準協会の冊子に寄稿した「大学の国際化について」です。留学生への対応がこれからの大学の国際化につながると述べたうえで、次のように学生寮が果たす役割をまとめています。

“ 現在のように留学生が多くなってくると、寮は何か新しい意味を持ち始めたのではあるまいか。外国人留学生だけの寮でなく、日本人学生と外国人学生とが一緒に生活することのできる寮はいろいろの観点からして有益である。 ”

 大学トップが、学生寮の存在意義を検討した理由をうかがい知ることができる史料であるといえるでしょう。

5年毎に作られた冊子資料番号:学生寮_15年ごとに作成された記念誌
大学の国際化について(1989年9月)資料番号:FC0024-011-004大学の国際化について(1989年9月)
近くて遠い学寮(1992年)資料番号:FC0083-003-008近くて遠い学寮(1992年)

 また、学生寮の独特な雰囲気に違和感を抱いていた一般学生も少なからず存在していたようです。左の史料は、「近くて遠い学寮」と題した『上智大学新聞』の特集記事です。構内に存在するがゆえに「近い」、しかし独自の世界観を保っている、運営形態が見えにくいという意味で「遠い」とテーマにあるように、この記事は、学生寮に記者が抱いた「違和感」の理由を明らかにするというものでした。記者は、現在の寮の理念・運営構造だけでなく、退寮者の声もあわせて紹介し、できるだけニュートラルな姿勢で学生寮の「今」を伝えようとしています。
 この記事のなかで興味深いのは、一般学生である記者が寮生たちを「上智ファミリー」としての理念を受け継ぎ、それを深める存在だと理解していることです。その一方で、やはり「近くて遠い」という感覚が払拭しきれていないことも感じられます。

一般学生たちの学生寮への認識をうかがい知ることのできる貴重な史料のひとつです。

第2節 上智会館学生寮との「別れ」

 2000年代に入ると、景気の低迷と18歳人口の減少により、上智大学でも入学志願者が減少していきました。その一方で、留学生の受入だけでなく、国際的な教育環境の整備といった「国際化」への対応など文部省が主導する大学教育改革への対応も喫緊の課題となっていました。
 こうした状況のなかで、2001年上智学院理事会は、基本構想「グランド・レイアウト」を発表しました。これは2013年の大学設立100周年を見据えて、教育・研究環境を整備する計画でした。

グランド・レイアウト(2001年)資料番号:『上智大学通信』2001年6月グランド・レイアウトについて報じる『上智大学通信』(2001年6月)

 展示史料は、「グランド・レイアウト」について伝える『上智大学通信』の記事です。
 このなかで、老朽化する上智会館を建て替えることが盛り込まれています。それに伴い、新たな学生寮の建設と会館内学生寮の閉寮が計画されることになります。

 「寮が閉鎖される」という一報に接した寮生たちの反応は、残念ながら史料として残されていません。 寮生たちは、節目ごとに記念誌を作成してきました。最後の記念誌である『45周年記念誌』(2002年刊行)には、アロイジオ塾からの詳細な年表が残されています。彼らはどのような思いで、過去を振り返っていたのでしょうか。

資料番号:2004.11.20_学生寮閉寮記念ミサパーティ6206閉寮記念ミサ(10号館講堂)
資料番号:2004.11.20_学生寮閉寮記念ミサパーティ6372閉寮記念パーティー(赤坂プリンスホテル)挨拶する喜田舎監長
寮のロビーに掲げられていたパネル(1994年度卒業生寄贈)資料番号:看板・札類-2寮のロビーに掲げられていたパネル(1994年度卒業生寄贈)
※クリックすると音が流れます。

 2005年の上智会館学生寮の閉鎖にともない大学は、11月に閉寮記念ミサとパーティーを開催しました。左の史料は、学生寮ロビーに掲げられていた「四谷有情」の歌詞を記した額です(現在ソフィア・アーカイブズで保存)。この曲は学生寮周年行事の際、寮歌の募集があり、誕生したものです。

 額の下の再生ボタンをクリックいただくと「四谷有情」が流れます。本音源は、作詞・作曲を手掛けられた宇賀田雅人氏(1983年本学法学部法律学科卒業)からご提供いただきました。宇賀田氏によれば、歌詞の1番には「昼間の風景」、2番には「夜の風景」、3番には「4年間の心の風景」が描かれているとのことです。

なお、上智会館跡地には、2017年4月に6号館(通称:ソフィアタワー)が建てられました。

第3節 現代の学生寮

上智枝川寮(2005年竣工)上智枝川寮(2005年竣工)資料番号:2005.03.14_枝川寮外観_8060

上智会館の学生寮にかわり、新たに東京都江東区枝川にもうけられたのが上智枝川寮です。キッチン付のワンルームという作りで、「プライベート空間」が確保されているというのがコンセプトとなっています。

祖師谷国際交流会館(2012年)祖師谷国際交流会館(2012年)資料番号:学生寮100年_祖師谷_学生棟2_20140507

2012年4月、運用開始となったのが、上智大学祖師谷国際交流会館の学生寮です。この寮は、「ミッション」と「ビジョン」により、グローバル人材を育成するということが大きな特徴です。特に、「キリスト教ヒューマニズムに基づいた人間教育」「叡智が世界をつなぐ」という「ミッション」は、アロイジオ塾以来の学生寮の伝統を感じさせます。

ロビーに掲げられている「ミッション」の銘板ロビーに掲げられている「ミッション」の銘板資料番号:学生寮100年_祖師谷_ミッション銘板_20140507
アルペ国際学生寮アルペ国際学生寮(2019年)資料番号:2019.02.21アルペ寮・室内_8146

さらに、2019年4月、東京都新宿区信濃町にもうけられたのが、アルペ国際学生寮です。「アルペ」の名は、上智学院の教育精神とも深い関わりのあるイエズス会元総長ペドロ・アルペ神父(1907~1983)からとられています。
この寮が特徴的なのは、グローバルリーダー育成をその「ビジョン」のなかに掲げていることです。

ペドロ・アルペ神父像ペドロ・アルペ神父像
(四谷キャンパス内・クルトゥルハイム前)資料番号:学生寮100年_アルペ像2_20210713